当時の北陸本線では旧型客車を機関車が牽く列車が健在でした。
上野駅でもほとんど見ることができなくなっていたはずで、
懐かしく思いながら乗りました。
青やこげ茶の車両が5両か6両はつながっていたと思うのですが、
乗客は少なく、1車両に数人しか乗っていなかった覚えがあります。
やはり淘汰されるべき非効率なものだったのでしょうか。
ドアは手動で走っている最中でも普通に開いています。
福井駅では停車する直前に飛び降りたりしました。
幼いころ兄がやっていたことを真似したくなたのです。
速度が落ち切らないところで飛び降りてしまったので、
転んで、ケガをするほどではなかったのですが
駅員が飛んできてかなり厳しく怒られました。
トイレはただ穴があいているだけの代物で
覗いてみると枕木とバラストがかわるがわる流れて行きます。
北陸トンネルに近づくとトンネル内では
トイレは使用しないようアナウンスが流れました。
車内はやや暗く扇風機が回っていました。
ただ、このころの夏は今ほど厳しい暑さではなかったと思います。
窓を思いっきり開けていれば充分涼しくて
冷房付きの電車よりも気持ちよかったくらいです。
石川県の金沢と小松の中間くらいに美川という駅があり、
乗っていた鈍行が特急の通過待ちで数分停車しました。
すると一切の音がなくなり人家のまばらな田園地帯の静寂が訪れました。
ホームに降り立ってぼんやりしていると
やがてレールが鳴り出し、遠くから機械音が響いてき
特急が轟音を立てて通過して行きました。
眩しい夏の日の光景が今でもはっきり思い出されます。
数年前通りかかる機会があったので注意してみていましたが、
ちょっと新興住宅街のようになっていてがっかりしました。