「さくら」といえばいまや新大阪発鹿児島中央行きの
新幹線の愛称となっていますが、
長らく東京から長崎・佐世保行きの寝台特急の愛称でした。
どちらかというと東北や北海道に惹かれていた自分ですが
一回だけ乗った「さくら」のことをよく思い出します。
たしか平成9年頃だったと思います。
会社の工場見学の一環で金曜日に山口県にいったあと
一泊して現地で解散となりました。
当時は行ったことのなかった九州まで行き
「さくら」で戻るという計画を立てました。
バブルは崩壊していたもののまだ経費のしめつけがゆるい頃でした。
行きは生まれてはじめての飛行機でした。
当時25歳くらいだったはずですが、
旅好きなはずなのにきわめて遅い飛行機デビューです。
これも列車好きの反映なのかもしれません。
工場見学が終わり宇部で一泊した後鈍行で九州に向かいます。
関門トンネルをくぐり九州に初上陸したあと博多に向かいます。
北九州の工業地帯がひどく黒ずんで暗く見えたのを覚えています。
博多でラーメンを食べていよいよ「さくら」に乗ります。
車内は下段すらちらほら埋まっている程度の閑散とした状況でした。
なにかちゃんとしたものを食べたいと思っていたのですが、
車内販売などなく途方に暮れてしまいました。
食堂車は連結されていたもののすでに
「食堂」としての営業はしていなく
レトルトのおでんか何かを売っていたような気がします。
テーブルと椅子だけの置かれた人気のない食堂車はひどくわびしいものでした。
結局何を食べたかは覚えていないのですが、
人気の凋落した寝台特急の一面を現した状況だったと思います。
門司で数分停車するのでホームに降り立ちました。
ゆるやかにカーブしているやたらと長い人気のないホームに
ひっそりと停車している「さくら」のたたずまいが印象に残っています。
その後は前日にかなり疲れていたせいかよく寝たようです。
静岡あたりを過ぎると完全に目が覚めたのですが、
案外に退屈したのを覚えています。
当時は相模原市に住んでいたので、
横浜で降りて家に向かいました。
すでに寝台特急として終末に近いころの
「さくら」の少し切ない思い出です。