平成26年夏の一人旅で訪問した松尾鉱山資料館について投稿します。
いままでなぜいかなかったのかというのが疑問なほどです。
小坂、院内、尾去沢、阿仁といった秋田県内の主だった鉱山系資料館は
いったことがあるのですがここは初めての訪問です。
毎年松尾鉱山のアパート群の廃墟を眺めていて、
近くを通りかかっていたのになぜかスルーしていました。
今年の4月までは「松尾歴史民俗資料館」という名称だったのですが、
鉱山の資料を拡充して名称もかえたということです。
松尾鉱山の歴史や賑やかだったころの写真などが特に印象に残っています。
重労働の鉱山では労働力確保のため福利厚生施設の充実を図られていて
昭和前半にセントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリート集合住宅や
芸能人がしばしば公演を開く会館など
標高の高い山奥の鉱山町は「雲上の楽園」といわれていたそうです。
しかし東洋一といわれた硫黄鉱山は石油精製時の副生成物に
コスト的に全く歯が立たなくなり昭和47年に完全に閉山してしまいました。
坑道が縦横無尽に張り巡らされた結果雨水や地下水から強酸性の排水が発生し
そのまま流すと北上川が死の川となるため中和施設が24時間体制で稼働しています。
費用は年間5億円で今となっては完全な負の遺産となっています。
閉山後は住民は「遠く全国に離散した」といった悲しい記述があります。
離散した先も全国の他の鉱山が多くその後の苦労を思うと胸を打たれます。
他にも木造住宅群は火災の延焼実験で燃やされたであるとか、
アパートの廃墟とあいまって切なさが募るばかりです。
廃墟ブームに便乗するのもどうかと思いますが、
長崎の軍艦島のように観光資源とする手はないのでしょうか?
兵どもが夢の跡の怪しい魅力は侮れません。
外に出ると雨脚が強くなっていたのですが屋外展示をみました。
機関車は鉱山鉄道で使われていたものですが、
左側に置いてあるのはタービンです。
鉱山でタービン?とおもったら松川の地熱発電所で使われていたものとのこと。
旧松尾村としての象徴の一つということなんでしょうね。