先日家族ドライブの際に訪問した舞鶴引揚記念館について投稿します。悲しい歴史を目の当たりにすることになりますが、行ってよかったです。
実は再訪になります。前回がいつだったかも覚えていませんが10年以上は前のはず。昨年5月に舞鶴に行ったときは他の施設を優先して断念したのですが、ずっと行きたいと思っていました。
終戦直後にアジア各地から引き揚げてきた人々は、日本内地各地の指定港に引き揚げてきたわけなのですが、終戦後10年以上後まで続いたシベリア抑留者の引揚は舞鶴に集約されました。その桟橋の設置されたあたりが公園となっておりその一角に引揚記念館があります。所蔵する一部の資料はユネスコ世界記憶遺産に登録されています。
館内は「引揚」に至る戦争の歴史や終戦後の背景などがわかりやすく展示されています。メインはシベリア抑留者の引揚してきた人たちの手紙や手記などになります。抑留中も手紙のやり取りはされていたとのことで沢山展示がありました。もちろんソ連の検閲があったそう。
有名な「岸壁の母」の説明を読むと泣きそうになって困ります。昭和20年8月15日に戦死した旨の紙切れ一枚送られてきてもそう簡単に信じられませんよねぇ。「岸壁の妻」という人々も沢山いたそうで、中には舞鶴に住み着いた人もいるのだとか。
展示物にはコートなどの衣服や鍋やスプーンなどの生活用品がありました。補充などないのでとても大切に使っていたそうです。
当然にして引き揚げてくる前のシベリアで抑留されていた生活の展示もあります。下の写真は収容所の実物大のジオラマですが、これはなかなかリアルすぎる。こんなところで10年間も生きていく自信はありません。
戦争にまつわる悲劇の中でも終戦後も続いた悲しい歴史が集約されたような資料館でただただ悲しいばかりです。
ママや子供たちを待たせることになるので30分という約束でゆっくりできなかったのは残念です。ビデオの資料などを見ていたら一時間はかかっていたと思います。