平成26年夏の一人旅で訪問した盛岡市先人記念館と原敬記念館について投稿します。
どちらも再訪ですが決して無駄にはならなかったと思います。
イオン盛岡ショッピングセンターでどこに行こうか思案した結果、
あまり車は運転したくないので近くにある両記念館に行きました。
共通入館券でわずか350円ではいれたのはありがたかったです。
盛岡市先人記念館
盛岡ゆかりの先人から3名を中心に紹介しています。
公園の中にある新しくて立派な建物です。
米内光政(よないみつまさ)
海軍出身の戦前の総理大臣経験者ですが、
いまとなっては普通の人は名前も読めないことでしょう。
管理人自身にはもっとも興味のある人物で前回同様一番時間をかけてみました。
戦前の総理大臣/海軍大臣として米英との戦争につながる日独伊三国同盟に反対し続け
終戦時に陸軍の反対を押し切って戦争終結に持ち込んだ人物-簡単に書くとこうなります。
昭和天皇の信望厚く直接贈られた硯が展示されいて、
その際にかけられた言葉が強く印象に残り前回来た時のことがよみがえりました。
あのまま戦争が続き本土決戦などということになればよりたくさんの犠牲者がでて、
戦後の復興もおもうようにならず今の日本がなかったと思います。
少なくとも北海道は今の北朝鮮のようになっていた可能性があり
とても自由に旅行などできないでしょう。
日本人は現代史を勉強しないとよく言われますが、
こういう人のことは知ってもらいたいところです。
新渡戸稲造
盛岡出身の戦前の国際人で国際連盟事務次長まで勤めた人です。
五千円札と「BUSHIDO(武士道)」が有名です。
面白かったのは日銀から盛岡市に送られた番号が二番目の五千円札です。
一番は日銀にとってあるんでしょうかねぇ。
金田一京助
国語の辞書や教科書で見かける名前ですが、
この人も盛岡出身で名誉市民第一号なのだそうです。
アイヌの研究のところが非常に興味深かったです。
アイヌ人の「知里幸恵」を支援してその文化を広めるのに貢献したのは素晴らしいのでは。
登別に「知里幸恵 銀のしずく記念館」なるものがあるそうで行きたくなりました。
前回来た時は米内光政の部屋を見過ぎて疲れて、
この人のところは流してしまった覚えがあります。
そういう意味でももう一度来てやはりよかったです。
原敬記念館
こちらも再訪でほんのついでくらいに思っていたのですが、
たまたま生家を公開している日で館長さんに案内してもらいました。
30分もかからんだろうと思っていたのに一時間くらい過ごしました。
こちらが生家で江戸時代に建てられた武家屋敷で、
意図的に低い天井などの工夫を説明してもらいとても面白かったです。
東日本大震災で内壁が少し崩れたりして保存も大変なようです。
資料館ではよくありますが子供向けのクイズがありその一つがこれ。
選択肢の「天津」の次の「甘栗」は噴飯ものですが、
その次の「青椒」ってなに?(調べるとピーマンのようです)
子供向けの工夫も大変ですねぇ。