先日の週末に奈良県の五條に行きました。市立の博物館が目的でしたが、江戸時代からの街並みも楽しめました。行ってから知ったのですが明治維新発祥の地といわれているのですね。
生駒から五條行くルートはいろいろありますが、行きは最短距離で近鉄生駒線、王寺乗換えJR和歌山線にしました。和歌山線は真新しい車両で乗り心地がいいです。休日の朝で空いていたのですが、高校生の団体が途中で乗り込んできて途端ににぎやかになります。ただしばらくすると皆、参考書を開いて勉強を始めていました。受験生なのでしょうか。
第一の目的地は五條市立文化博物館。北口から送迎バスが出るというのでみると閑散としたロータリーにマイクロバスがポツンと一台あります。行ってみると運転手さんは瞑想しているのかこちらに気づきません。バス停があったのでそこまで往復してみると運転手さんが起きていたの会釈をするとドアを開けてくれました。「博物館ですね」と声をかけられ、手をアルコール消毒せよとのこと。結局他に客はなく、10分ほどで着きました。
山あいの大きな公園の一角にある市立五條文化博物館は25年ほど前に建設された比較的新しい博物館で円形の立派な建物です。受付で料金を払いまず企画展の「藤岡玉骨と与謝野寛・晶子」を見学。藤岡玉骨は五條出身の明治時代の高級官僚かつ歌人で生家に残された与謝野夫妻との数々の書簡や古い雑誌などが展示されています。面白かったのが赤字で添削された数々の短歌。与謝野晶子が添削するとどうなるかという点に興味を惹かれましたが、それがわかるような展示にはなっておらず残念。
常設展は五條市の土器や古墳などからはじまり現代にいたる諸々の展示。江戸時代初期は大和五条藩松倉重政の領地で城下町の振興に努めて街の発展に寄与したとのこと。松倉氏が九州に移封された後は明治まで天領でした。「松倉」と聞いてあれっと思ったのですが、あの島原の乱の原因となった島原藩の圧政を敷いたのはこの人とその息子。五條では名君のような書き方をされていますがどうしたことでしょう?福知山では明智光秀は英雄ですし歴史上の人の評価は色々です。
バスの時間まで一時間以上時間がありましたが図書コーナーで本などを読んでいると足りないくらいでした。帰りのバスもやはり一人でしたが、運転手さんが心なしかうれしそうで親切です。空気ばかりを運んでいて嫌になっていないか心配。
五條の駅に戻ってもまだ昼過ぎなので江戸時代からの街並みが残る新町地区を散策することにします。駅から10分ほどなので近いものです。
通りの一角にある「まちなみ伝承館」というところに寄ってみます。旧民家を回収したちょっとした展示のあるのですが、館員の女性が付きまとってきます。展示の文章を読んでいると黙っているのですが、いろいろ話したくて仕方ない様子。こんな時はちょっと近寄るなオーラが出てしまうのですがひるむ様子はありません。この日は五條の街中の昭和中期の写真展があり、これは大好物なのでしっかり見ました。映画館が4つもあったこと、伊勢湾台風の時に吉野川が溢れたが、流れはゆるやかで家が流されることはなかったことなど、いろいろな話を聞かされました。最後にしきりにスタンプラリーを進めてくるのですが気恥ずかしいのでそれはお断り。時間があればもうちょっと聞いてあげてもよかったかな?
その後、博物館でも伝承館でも展示のあった「五新線」の遺構をちょっとみて街歩きを続けます。五條と新宮を結ぶ国鉄の予定線の跡です。ぶった切らられた高架橋が痛々しい。廃墟好きな人には来るものがあるはず。
最後に訪れたのが「民俗資料館」。文化博物館とどう違うのだろうと思って事前に調べるとここは「天誅組」の展示に特化したところでした。名前はこれでいいのかな?「天誅組」は幕末の尊皇攘夷派の志士たちの初めての挙兵で、五條の代官所を襲って「五条御政府」を設立したものの、その後幕府軍に敗れ壊滅したという事件です。民俗資料館にはその顛末と肖像画、写真といった展示がありました。明治維新に至るなかでの初めての挙兵の地ということで五條は「発祥の地」と名乗っているわけですがちょっと苦しいか。
諸々展示を読みましたが、襲撃されて殺された上に梟首までされた罪もない五條代官所の人々に同情する気持ちのほうが強かったです。天誅組はその後下市の町を焼き打ちして住民を逃亡させるなど、どうしても共感できません。そもそも幕末および明治維新の過程では、維新を成し遂げた勢力より東北諸藩などに同情しているわけで、予想できた印象ではありました。
五條から奈良方面に戻る電車は一時間に一本しかないので、きっちり時間を見て駅に戻りました。同じルートで戻るのもつまらないので、復路は吉野口で近鉄に乗換えて橿原、西大寺経由。遠回りではありますが急行が走っているので時間は変わりません。家に着いたのは三時半。半日程度の行程でしたが充分旅に出た気分を味わえました。遠くに行くばかりが旅ではないですね。