初めての一人旅:福井へ(昭和56年夏)

初めて一人旅のようなものをしたのは
小学校4年生のとき両親の実家の福井へ行ったときです。

北陸ワイド周遊券を使っていきました。
乗った新幹線は「ひかり111号」でなぜか明確に覚えています。
博多行で新大阪以降は各駅停車だったと思います。

東京駅に行くと新幹線は見慣れた青とグレーの座席ではなく
オレンジに黒い縦じまの入ったものでした。それだけで興奮しました。
ちょうどこのくらいの頃から内装が変わったのだと思います。
ただし3人がけの列は回転できなくて、
車両の半分を境に後ろ向きに固定されていたと記憶しています。

新幹線の車内で自宅に電話をかけようとしました。
どうも自宅は不在だったようで数百円投入したので
どうなるのか心配で交換の方に聞いたら
「大丈夫ですもどりますよ」といわれたのを憶えています。
電話をしたのは別に心細かったわけではなく
ただ新幹線から電話をしてみたかっただけです。

名古屋からは特急「しらさぎ」で福井まで行きます。
乗換の名古屋の駅は大きかったですが
特に迷うこともなく不安になった覚えはありません。

米原で進行方向が変わるのですが、
皆さん声を掛け合って席を回転させたのを覚えています。
こういう光景は最近ないようで
先日も秋田から「こまち」に乗ったのですが、
大曲まで皆さんおとなしく進行方向に背を向けて座っていました。

福井駅についてもう一度公衆電話で自宅にかけました。
通じはしたのですが数秒で切れてしまい何も話せませんでした。
10円玉をたくさん入れておくという方法を知らなかったためです。
結局30円くらい使って不首尾に終わったはずです。

両親の実家に行ってからは
従弟などとは遊ばず一人で鉄道に乗りにいっていました。
周遊券があったからいくら乗っても追加でお金はかかりません。
このときかどうかは忘れましたが糸魚川までいった覚えがあります。

親類からは「大きな時刻表を抱えて
いつのまにかいなくなっている奇特な子」と
いわれていて今おもえば申し訳ないような気がします。
数年前に法事で福井にいったところ、
「あの一人遊びの子か」と言われて根深いものだと思いました。

帰ってきてから夏休みの宿題で一人旅のことを書きました。
4年生で一人で東京から福井まで行ってしまったのは
ある意味マズいかと思ったのですが、先生は褒めてくれました。
クラスの皆に地図を開かせてルートを発表する羽目になりました。

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