尾道が当たった企画きっぷのサイコロきっぷで尾道行き一人旅の後半を投稿します。尾道から福山にもどり、鞆の浦に行きました。
鈍行で尾道から福山に戻ります。ちなみにサイコロきっぷは途中下車が認められておらず別にきっぷを買わなければなりません。誤解して福山で大阪までのサイコロきっぷを回収されてしまうことがあったのか、尾道でも福山でも駅員さんがしきりにアナウンスしていました。尾道に行くには新幹線で福山に降りる訳ですから途中下車を認めたらいいと思うのですが…
福山は大きい町で惹かれる博物館もいくつかあるのですが、この日は時間に余裕があったので鞆の浦に行くことにしました。バスで30分もかかるのですが「日本でもっとも癒やされる港町」とのことで以前より行きたかったところです。
終点の鞆港で降りて最初の目的地は「いろは丸展示館」です。坂本龍馬の率いる海援隊の保有船「いろは丸」が紀州藩の船と衝突して沈んだのが鞆の浦の沖で坂本龍馬自体も賠償交渉のため滞在していた時期があったとのこと。
ちなみに日本初の万国公法で審判された日本初の海難審判事故になるそうで、龍馬の交渉で紀州藩は多額の賠償責任を負わされたそう。紀州藩士は恥をかかされたとのことで龍馬の命を狙う者もいたのだとか。
続いてはほど近くにある太田家住宅へ。江戸時代に建築、その後増築改築され今に至る当時の商家の佇まいを今に伝える重要文化財です。もとは鞆の浦の名産「保命酒」を醸造する中村家の住宅で、廻船業者の太田家の譲渡されたものとのこと。蔵がたくさんある立派なお屋敷でしたが、やや先を急いでいて慌ただしく見学してしまいました。
最後は鞆の浦歴史民俗資料館に向かいます。鞆城跡の小高い丘にあるので階段を登っていきます。高台から港一帯を見渡せる景色のいいところにでます。
ここでは港町鞆について学べます。瀬戸内海の中央に位置し、海流の関係で古代より潮待ちの港として栄え、様々歴史上の出来事の舞台ともなるところでした。展示は必ずここに寄港した北前船や朝鮮通信使や、各種テーマでの鞆の浦の展示があり時間をかけて見学しました。
全く知らなかったのですが盲目の作曲家宮城道雄の父方の実家があり、失明する前の幼少期を過ごしたそうで鞆の浦を思って創作した曲もあるとのことです。
風邪気味でどうしても体調が不安で駆け足になってしまったのですが、福山に戻って奈良に戻ろうと思います。鞆の浦は人気の観光地で帰りのバスは立っている人が出るほどでした。今回は福山市内は素通りでまた来たいと思っています。サイコロきっぷは5000円だったということで日帰りにしてしまいましたが、尾道も鞆の浦ももっとゆっくりしたかったですし、広島県まで来たわけですから一泊してもっといろいろなところに行けばよかったと後悔しています。
サイコロきっぷ購入の顛末と道中尾道での前編は下記リンクをご覧ください。