この日の目的は一つだけで世界遺産の富岡製糸場です。最寄り駅までは高崎から上信電鉄というローカル私鉄に乗って30分ほどです。
こちらがその上州富岡駅なのですが、ローカル私鉄では見たことのないような立派さ。どこかからお金が出ているのでしょうか?
ここから目的地までは徒歩で15分くらいなのですが、その過程でもいろいろ見所がありそうです。こちらは駅すぐの倉庫跡にある世界遺産センター。いい予習になったのですが切りがなくなりそうなので本丸を目指します。
こちらが正門。官営工場で発足したということで敷地は広大です。高崎で買った電車の往復切符と入場のセット券をみせて入ります。電車には観光客は数人くらいのようでしたが、車で来ている人たちがたくさんいるようで早くも盛況。ガイドツアーもはやっているようで、20人くらいのその手の集団が何組もいます。
まずは東置繭所という建物にある展示室を見学。一般的な富岡製糸場の歴史や売店があります。立派なレンガ造りの建物や官営から三井に払い下げられたあとの過程などですが、女工さんたちの日記などが特に興味深かったです。最初はフランス人に血肉を吸われるという噂が立ってなかなか集まらなかったのだとか。
主だったレンガの長い建物はコの字型になっていて、順路に従って逆側の西置繭所を見学します。一年間で使う繭を貯蔵する必要があるのでこんなに大きな建物が必要になるそうです。
こちらでは器具や世界遺産の意義についてなどテーマに沿ってよりディープな展示があります。官営時代はあまり利益が出ていなかったそうで、操業時からのお雇い外国人の給与が利益を圧迫していたとのこと。女工さんの労働時間の推移では戦前はやはり12時間労働が普通だったとか、「女工哀史」のような話もありますし気になったところですが、戦後は機械化も進み労働基本法を順守するレベルになっていたそう。
二階にも上がることができて実際の繭の保管方法が展示されています。ベランダからみた繰糸所の写真がこちら。
その後は社宅やブリュナエンジンなる繰糸器をを駆動する要するに蒸気機関などを見学して、正門近くまで戻ったあと繰糸所に向かいます。
入るとご覧の通り繰糸器がずらーっと並んでいて壮観です。昭和後期まで稼働していた機械がそのまま残されているとのこと。奥の方で繰糸の実演がされていて勉強になりました。6つの繭×2をより合わせて作る生糸。糸を取り尽くして透明になった繭が出てきたら次の繭を継ぎ足す方法など細かい作業ばかりで、女工さんの苦労が忍ばれます。
さらに寄宿舎や首長館などを外観だけですが見て回りました。初代の首長、フランス人のポール・ブリュナは特筆すべき人物で、工場の設立から運営までを富岡の地の選定から含め担った人物です。明治初期のお雇い外国人の暗躍はいろいろいわれるところですが、主要な輸出産業を育てた貢献度合いは相当高いのではないでしょうか。
敷地は広いし見所たくさんで2時間くらいは滞在したと思います。養蚕や製糸業については以前から知りたいと思っていたのですが期待通りいい勉強になりました。
この後は高崎まで戻ってこの日の宿泊地、前橋まで行くだけです。最近は欲張った計画をしていましたが、世界遺産富岡製糸場ともなると一カ所で満腹ですね。