福井→東京:紀伊半島一周経由(昭和60年くらい)

これは多分中学生の頃だったと思います。
一人で行ったのか家族で行ったのかは覚えていませんが
とにかく両親の実家に行き東京に帰る過程で
紀伊半島をまわって遠回りをしていきました。
写真も残っていませんし季節も思い出せません。

叔父に岐阜県の白鳥まで送ってもらい
越美南線(今の長良川鉄道)、太多線を経由して名古屋に出てました。
そこから紀勢本線で紀伊半島をぐるっとまわり、大阪の天王寺に着きました。
当時はなぜか憧れていた初めての大阪です。

新宮からは夜行の鈍行列車でした。
昭和58年までは「はやたま」という名称がついた寝台車まで連結した
不思議な鈍行列車でしたが、この時は座席車ばかりの編成でした。

覚えているのは新宮の駅で
当時新発売だったかた焼きそばの様な
カップめんの様なものを食べたこと
天王寺のホームで食べた立ち食いうどんがおいしかったことくらいです。

ここまで全部鈍行列車なのですが、国鉄に関しては全く切符を買った覚えがないので、
「青春18きっぷ」を使ったのだと思います。
どのように1枚か2枚だけ手にしたのかがわかりません。
兄が数枚使って残りをもらったのではないかと思います。
今は一枚の切符にスタンプを押していく形でしたが、
当時は5枚1冊の形式でしたからばらばらにしやすかったのです。

その後、鶴橋まで行き近鉄特急で名古屋に行きました。
このごろは毎月のように乗っている近鉄特急もこの時が初めてでした。

名古屋で半日くらいどこかで時間をつぶして
夜行高速バスのドリーム号で帰りました。

とっとと新幹線で帰ればいいのですが、
なにか惜しいという気持ちがあったのでしょう。
普通列車を乗り継ぐとか中央本線経由で帰るとか、
いろいろ思案した挙句の結論だった覚えがあります。
バスがダメだったら、大垣発の夜行鈍行列車で帰ろうとしていました。

切符は名古屋についてから買ったのですが、
最初満席ですと言われて困った顔をしていると
窓口のおばさんが「あっ一席だけあるよ」といって売ってくれました。

しかし指定された席にいってみると既に座っている人がいて、
車掌か運転手に話すとすぐ別の席に案内されました。
あれは重複して切符が発行された時に
どのように処理されるのかを知っていた
窓口のおばさんの親切だったのかも知れません。

特にどこを見学したわけでもなく
ただ列車に乗っていればよかった頃の記憶です。
よく考えると二泊夜行列車で、
風呂にも入った覚えもなく恐ろしいものです。
今実行したら発狂することでしょう。

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