ママの妹さんの結婚式も無事終了したのですが、ママと子供たちは実家にもう少し滞在するというのでパパは一人で関西に帰りました。折角なのでいつも帰省する正月には閉館している筑豊の博物館資料館をめぐって帰ることにしました。
ママの実家の筑後地方から筑豊の炭坑地区に行こうとすると最短距離は筑豊本線に乗るべきなのですが、原田から桂川という区間が酷い閑散路線で二時間に一本しか列車がありません。ここの接続だけ考えてママの実家を出発しました。
それにしてもこの区間は昔は特急が走っていた区間でした。博多を無視して直方、飯塚を経由して長崎方面に向かっていたわけですが、それだけの需要が見込めていたわけですね。炭鉱都市の凋落を象徴する区間で気になっていました。
そんなわけでディーゼルカー一両の列車に乗りこみます。客は10名程度。廃止にならないか心配です。
桂川で一転して博多からのモダンな電車に乗り新飯塚着。最初の目的地飯塚市歴史資料館に行きます。
入館料はJAF割引で160円でした。炭坑関係の展示を期待していましたが、弥生時代の立岩遺跡の展示がメインで炭坑関連は1/3程度。それでも炭坑盛し頃の写真などには見入りました。山本作兵衛炭坑記録画の展示も注目しましたが、これはのちの田川でたっぷり見ることになります。
そこそこ楽しんで、次の目的地田川伊田に向かいます。田川後藤寺行きに乗った後、時刻を確認すると後藤寺から伊田までの一駅の列車がなんと一時間以上の待ち時間。これは大誤算。原田、桂川間を気にしすぎて詰めの甘いプランになっていました。
お昼でも食べながら時間をつぶそうと思って後藤寺の駅を降りると、シャッター通りの商店街以外何もありません。新飯塚はそこそこお店があったのですが、福岡市内への通勤圏内から外れるとこうなっちゃうんですね…
きわめて遺憾なことに800円を奮発?してタクシーで次の目的地田川市石炭・歴史博物館に向かいました。
田川市石炭・歴史博物館についてはこちらの記事をご覧ください。
たいそう堪能させていただきました。
その後、田川伊田の駅まで歩いて今度こそランチと思ったのですが、後藤寺と変わらぬシャッター通りの商店街のほかコンビニ一つありません。炭坑都市の哀愁を身に染みて感じることになってしまいました。荷物も重くて頑張る気もしないので30分ほどおとなしくベンチでぼんやりしていました。
田川でくいっぱぐれたので遅い昼食は小倉で。大分の日田焼きそば「想夫恋」の支店があったのでこちら。茹でていない麺を焼くのですこしクリスピーなのが特徴でなかなかおいしい。黒石つゆ焼きそばほどのインパクトはないですが、具のもやしや豚肉も美味しいのでちょっとおススメです。
いろいろ小倉でしたいこともありましたが予想通りクタクタだったので早い新幹線に予約を変更して関西に帰りました。三連休の中日だけあって夕方の便でも京都まで窓側が取れましたからそれほどは混んでいないということですね。